BIOGRAPHY


森田槙のミュージカル作詞・作曲家になるまでの生い立ちを紹介。

森田槙

1987年9月5日生まれ、神奈川県横浜市出身

 

 

 

1. 幼少期~青年期 1987-2006

2. アメリカ留学(前期)2007-2009

3. アメリカ留学(後期)2012- 


1. 幼少期〜青年期 1987-2006

1歳児の森田槙
1歳児の森田槙

1987年の9月5日、森田は神奈川県横浜市に誕生。出生体重は4130gもあり、彼の母親は「とにかく大きな体で、泣くときは大声。ジッとしてはいられない、元気すぎる赤ちゃん」と表現する。言葉も覚える前から鼻歌を口ずさみ、他人のピアノ演奏を見るときは自身も両手をバタバタと動かしながらピアニストになりきる息子の姿を見た両親は、彼が2歳半のときにリトミック教室へ、3歳のときにピアノ教室へと通わせる。

 

リトミック教室で、森田は12歳の時に初めての作詞/作曲を経験。一方、ピアノ教室では、譜面通り演奏するより、自己流にアレンジして演奏する楽しみを見つける。

リトミック教室発表会の森田槙
リトミック教室発表会の森田槙
ピアノ教室発表会の森田槙
ピアノ教室発表会の森田槙

 

幼い頃から、森田は多くのミュージカル映画に、VHSテープが見過ぎで擦り切れるほど没頭し、2003年、彼が16歳のときに日本公開されたミュージカル映画『シカゴ』をキッカケに、  “音楽のある楽しい空間” という言葉でしか表現できなかった彼の興味は、 “音楽でストーリーを語る世界=ミュージカル” という具体性を持ち始める。当時、メディア媒体はVHSからDVDが一般的となり、特典映像の”メイキング”が身近なものへ。こうした時代の変化は、彼のミュージカルへの興味は “観る” ものから “創る” ものへ変化させてゆく。


2. アメリカ留学(前期)2007-2009

2007年、ミュージカル演出家になる “目標” を持った森田は、19歳で演劇を学ぶためアメリカへと渡る。ネバダ州リノにあるネバダ大学リノ校附属語学学校【I.E.L.C. at University of Nevada, Reno】で留学生必修英語コースを受講。授業課題で行われた芝居で、彼はチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』の演出を担当。また、オリジナル・クリスマスソングを作曲し、コース卒業の際には特別賞を授与される。

執筆中の『The Pinkies』脚本
執筆中の『The Pinkies』脚本

 その後、トラッキー・メドウズ・コミュニティ・カレッジ【Truckee Meadows Community College】へ進学し、日本のポップロックバンドの自伝を基にして脚本/作詞/作曲を手がけた、森田自身初のオリジナル・ミュージカル『The Pinkies』を完成させる。実際に、上演される機会はなかったものの、彼曰く、

 

「ミュージカルを “書く” 作業は、迷路みたいに入り組んで、楽しいんだって気づいた瞬間でした。もちろん自分の知識不足に少し落ち込みましたけど、それを補うことで頭にあった構想が崩れて、良い意味で自分の想像を超えたストーリーや曲が出来ていく。これには興奮を覚えましたね。当時は漠然と “創る” = “演出” だと思ってたんですが、このときをきっかけに道にかかっていた霧が晴れて、自分の中での “創る” というのは “書く” ことだったんだと、ようやく分かりました。今振り返れば人生の分岐点だったんですけど、当時はとにかく作品を認めてもらうことに必死過ぎて、何も考えていなかったんですけど…(笑)」

 

森田槙、トラッキー・メドウズ・コミュニティ・カレッジ卒業式にて
森田槙、トラッキー・メドウズ・コミュニティ・カレッジ卒業式にて

こうして、2009年に当カレッジを卒業し、彼は準文学士号【Associate in Arts Degree】を授与されることとなる。


3. アメリカ留学(後期)2012-

森田槙、初のNYタイムズスクエア
森田槙、初のNYタイムズスクエア

2009年、森田はニューヨーク市立大学【The City University of New York】の演劇学科・製作コースへ進学。こうして、 “ミュージカル演出家志望” から “ミュージカル音楽家志望” へと急激な方向転換することとなる。

 

2011年、 “ミュージカル音楽家”への進路を決めた森田は、生涯の憧れである作曲家のディズニーレジェンドのアラン・メンケン氏に弟子入りを申し出る。こうして、メンケン氏をメンター[指導者/助言者]としてサポートを受けながら、森田は本格的にミュージカル音楽家へと歩み始めることとなる。

    

アラン・メンケン氏と森田槙
アラン・メンケン氏と森田槙

 

アラン・メンケン氏と森田の交流は現在も継続し、森田は二人の関係について、こう語る。「私のメンター、良き友人・父親的存在ですが、”師弟”関係というのは違います。」彼は続けて、

 

「創作は直感力が必要不可欠で、鍛えるには自身の力で毎日書き上げ続けるしか方法はありません。そのことを熟知している方なので、音楽やミュージカルに関して、アランから直接『教え』を受けたわけではないです。それが私にとって最高の『教え』でした。そういう意味では、彼は私の『師』なのですが、日本でいう『師』とはちょっとニュアンスが違うんですよね。なので、私は彼を『メンター』と呼ぶことにしています。 」

 

森田槙、ニューヨーク市立大学卒業式
森田槙、ニューヨーク市立大学卒業式

こうして、2012年に大学を卒業した森田は演劇文学士号【Bachelor of Arts Degree in Theatre】を授与され、森田の学生生活は幕を下ろす。

 

2012年、大学を卒業した森田は演出家のジュディー・テイモア率いるクリエイティブ・チームが所属するNY演劇製作プロダクション【Music-Theatre Group】にて1年間のインターンシップに参加。 

2013年、26歳となった森田の “アメリカ修行” はひと段落を迎える。帰国後、彼は作詞/作曲家として音楽活動をスタートする。

 

日本での活動経歴はWORKページにて紹介。